李舜臣(イ・スンシン)が操った亀甲船/朝鮮王朝歴史全集8

開戦直前の完成

豊臣軍の攻撃が近いことを察した李舜臣は、亀甲船の完成を急ぎました。戦中における彼の日々の記録である「乱中日記」によると、完成した亀甲船が進水したのは1592年3月27日です。
その日記には次のように記されています。
「朝食の後、乗船して、召浦に到り、鉄鎖を横にして設置する作業を監督し、終日、柱の木を立てるのを見、それとともに亀甲船の砲を試射する」
このあと、亀甲船はひんぱんに試射を行なっていますが、試射の精度がかなり向上して李舜臣が実戦で使用できると確信したのは、4月12日でした。その翌日に豊臣軍の先陣が釜山に上陸していますから、亀甲船は本当に間際に完成したと言えます。
開戦から20日ほどで都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)が陥落して朝鮮王朝は苦境に陥っていましたが、李舜臣に率いられた水軍が亀甲船を使って豊臣軍から制海権を奪い、日本側の補給体制を寸断しています。




これによって豊臣軍の勢いは止まり、以後は戦線が膠着状態になります。今でも李舜臣が「救国の英雄」と尊敬されているのは、存亡の危機にあった朝鮮王朝が李舜臣の活躍で息を吹き返したからです。その際に大活躍したのが亀甲船でした。
1598年、豊臣秀吉が世を去ったのを機に豊臣軍は引き上げました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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