朝鮮王朝で最初に廃妃・死罪になった王妃は誰か

仁粋大妃の脅迫

廃妃になった尹氏は、実家で質素に暮らしていました。王宮で自分が仕出かしたことを反省する気持ちも日増しに強くなりました。
成宗も、王宮を追放された尹氏のことが気になっていました。
「もし改心しているなら、もう一度王宮に戻してあげようか……」
そう考えた成宗は、尹氏の実家に使者を派遣します。「生活態度を見てまいれ」というわけです。
尹氏は本当に反省していたので、使者は見たとおりのことを成宗に伝えようとしましたが、その途中で成宗の母親に呼び止められます。母親は仁粋(インス)大妃です。この場合の大妃というのは、王の母を意味する尊称です。
仁粋大妃は尹氏のことをよく思っていませんでした。息子を駄目にする女だと見なしていたのです。そこで、仁粋大妃は使者に対して「何の反省もなく、相変わらず贅沢な生活をしていましたと伝えよ」と脅します。




さからえなかった使者は仁粋大妃の指図どおりに成宗に報告します。激怒した成宗は尹氏に死罪を命じました。
廃妃の末に死罪になる……それが、燕山君(ヨンサングン)の実母の運命でした。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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