世祖(セジョ)/朝鮮王朝人物紀行7

母親のたたり

世祖の王位強奪事件を扱っていたのが『王女の男』だった
端宗を王に復位させることを狙っていたのは「死六臣」だけでなかった。世祖の弟である錦城大君(クムソンデグン)も端宗を復位させようと計画を立てたが、それが露顕して死罪に処されている。
このような騒動が続いたことで、世祖は「このまま端宗を生かしておけば、また復位を狙う者が現れる」と思い、1457年に端宗を流罪にしたうえで殺害した。
その後、世祖は制度の改革に力を尽くしたり、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を始めたりした。しかし、彼は晩年に原因不明の皮膚病に苦しんだ。
一部では「その皮膚病は顕徳(ヒョンドク)王后に夢の中でツバを吐かれたことが原因ではないか」と噂された。顕徳王后は、端宗を出産してから数日後に亡くなった母親である。
世祖は、妻との間に2人の子供をもうけるが、長男は19歳という若さで世を去り、後を継いで8代王・睿宗(イェジョン)となった二男も、長男と同じ19歳で亡くなってしまった。




そのことに庶民は「顕徳(ヒョンドク)王后のたたりだ」と言った。
いくら王になりたいからといっても、人の命を奪うようなことは絶対にやってはいけないことだ。
世祖も10代王・燕山君(ヨンサングン)ほどではないにしろ、「悪王」の1人であることは間違いない。

文=康 大地〔コウ ダイチ〕

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