トンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)のライバル物語2「王妃追放」(再読版)

1689年4月、粛宗(スクチョン)は突然高官を集めて、「仁顕(イニョン)王后はあまりにも嫉妬が強すぎる」と露骨に非難しました。朝鮮王朝時代には、地位のある人が妾を持ったりしました。それでも正妻は絶対に嫉妬してはいけないという戒めがありました。なにしろ、当時の法律によると、夫が抱えている妾に嫉妬しただけで妻は離縁されても文句が言えなかったのです。粛宗はそれを根拠にして「とにかく仁顕王后が嫉妬深くて耐えられないので、廃妃(ペビ)にする」と宣言しました。

いよいよトンイの登場

仁顕王后は寂しく実家に帰されてしまいます。
すぐに粛宗はまた高官たちを集めて、「今、王妃の座が空いている。これでは国が安定しない。民もみな新しい王妃を求めている」と言いだしました。とにかく粛宗は話が多い王であり、「朝鮮王朝実録」の中でもしゃべりまくっています。おそらく歴代王の中で一番言葉が多い王であったことでしょう。
そんな彼から出てきた究極の言葉が「張禧嬪を王妃に昇格させたい」ということでした。こうして張禧嬪は、一介の女官から側室を経て王妃になります。
彼女の兄は張希載(チャン・ヒジェ)。ドラマ『トンイ』にもよく出てくる男です。彼は妹が王妃になったので、大出世を遂げました。




いわば張禧嬪と張希載は我が世の春を謳歌したのですが、そこに今度は淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏という強力なライバルが現れます。ドラマ『トンイ』の主人公になった女性です。
(ページ2に続く)

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