チャングムに代表される医女は朝鮮王朝でどんな存在?

チャングムは謎の医女

さすがに、医女に酔客の相手をさせるのはよくないということになり、16世紀以降は医女を宴会に連れ出さないように決まった。
医女が本来の役割に徹することができるようになったのだ。『宮廷女官 チャングムの誓い』の時代背景は16世紀前半で、ようやく医女が宴会での酌婦役から解放された頃の話となっている。
ドラマの中でチャングムは、たとえ男尊女卑の社会にいても有能な女性はかならず頭角を現すということをよく表現していた。
朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」にはチャングムのことが10カ所ほど記述されている。
彼女は王族の病状を回復させた褒美として、他の医女よりも給料を多くもらっていたようだ。
また、「朝鮮王朝実録」には、11代王・中宗(チュンジョン)の言葉として「余の病状は、医女(チャングム)が知っている」という記述も見られ、中宗がチャングムにとても信頼を寄せていることがわかる。




ただ、記述は数行にわたるだけで、チャングムが一体どんな人物でどんな人生を歩んだかについてはまったくわからない。
いわば謎に包まれた医女だったのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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