重要な統治手段
儒教は、もともとは中国で乱世の時代に人間の倫理を正すために生まれた政治思想でした。人間の上下関係を認め、それぞれが自分の義務に充実に行動するとき乱世がおさまり正しい政治が行なわれるとされていました。
つまり、強力な王権を確立するのに適した思想を持っていたのです。
そこで、朝鮮王朝の建国功臣たちは基本理念として儒教を取り入れました。もちろん、それ以前の朝鮮半島でも儒教の経典は知られていて重要な学問だったのですが、国家全体を統括する思想ではありませんでした。
結局、儒教が広く浸透するには、時間と努力が必要でした。朝鮮王朝の初期には、新しい貴族階級であった両班(ヤンバン)の間でなお仏教を重んじる風習が強く残っていましたが、国家が率先して仏教を排斥したために、仏教を信じる人たちが減り、長く苦難の道を余儀なくされました。
これに対して、儒教は最初から重要な統治手段であり、さらに、支配階級の根本思想として発展しました。
また、科挙の試験問題は儒教の教義から出されたので、学問的あるいは思想的に一般社会に広まったのです。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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