息子と娘は?
貞熹王后に引き取られた息子はどうなったのか。
その子は女子の服を着せられて宮中で育った。
しかし、いつまでも隠せるものではない。やがて世祖の耳にも入ったが、その頃の彼は多少は寛容になっていて、敬恵王女の息子に手を出さなかった。そればかりか、彼女の身分を回復させる配慮を見せた。
とはいえ、敬恵王女の息子と娘には、極刑となった父の罪が未だ連座制によって及んでいた。
1468年に世祖が世を去ったあとに、高官たちの間から「敬恵王女の子供たちを絶対に処罰すべきだ」という上訴が何度も出された。
その度に、貞熹王后は大反対した。そればかりか、「上訴した者は厳罰に処す」という命令まで出した。
敬恵王女は、貞熹王后に感謝しながら1473年に38歳で亡くなった。後に息子は出世し、娘も良家に嫁いだ。
敬恵王女は、草葉の陰でどれほど喜んだことだろうか。