チャングムが象徴する医女の制度はどのように誕生したのか

がんばる女性の成功物語

医女は、人の命を助ける仕事に励む一方で、宴会の酌婦としてもこき使われた。
この一事をもってしても、当時の医女の立場がわかる。患者の脈を取る一方で、宴席は酔客にからまれることにも耐えなければならなかった。
さすがにそれでは不憫(ふびん)だということになり、16世紀以降は医女を宴会に連れ出さないことが決まった。
こうして、医女は本来の役割に徹することができるようになった。『宮廷女官 チャングムの誓い』の時代背景は16世紀前半で、ようやく医女が宴会での酌婦役から解放された頃の話となっている。




ドラマの中でチャングムは、たとえ男尊女卑の社会にいても有能な女性はかならず頭角を現すということをよく表現していた。
そういう「がんばる女性」のサクセスストーリーという点が、多くの視聴者の共感を得たのは間違いない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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