中宗は不本意な王だった

国王らしくなかった

「兄を差し置いて王になってしまったら、後で何を言われるかわからない。絶対に王にはなりたくない」
強硬に拒んだ晋城大君。しかし、クーデター軍としては、せっかく燕山君を王宮から追い出しても、晋城大君に即位してもらわない限りはクーデターが成功とはならなかった。そこで、ひたすら頭を下げて晋城大君のご機嫌を取り、「王になってください」と懇願し続けた。
ここまで状況が切羽詰まってくると、晋城大君としても断り続けることはできなかった。こうして、彼は11代王・中宗として即位することになった。
しかし、嫌々ながら王になってしまったので、中宗は、どのように政治を仕切っていけばいいのかがわからなかった。なおかつ、クーデターを成功させた家臣たちの力が強くて、彼らに頭が上がらなかった。
そういう意味では本当に影の薄い国王であり、自らの主体性を発揮することはできなかった。『宮廷女官 チャングムの誓い』では、堂々たる立派な王として描かれていたが、実際の彼の存在感はかなり違っていた。




そんな彼が心からすがったのが、趙光祖(チョ・グァンジョ)という儒学に優れた高官であった。
趙光祖は、儒教に基づいた正統的な政治を理想としていた。中宗も趙光祖を頼って自分なりの王道政治を築こうとした。
(ページ3に続く)

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