『華政』の主人公・貞明公主の歴史9「善行」

1636年12月、朝鮮王朝が強大な清に攻められたときだった。貞明公主は漢江(ハンガン)の河口の近くの江華島(カンファド)に避難しようとした。用意した船に財産をすべて載せて、貞明公主はまさに陸地を離れようとしたのだが……。

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避難してきた民衆を救出

清が都の漢陽(ハニャン)を攻めたとき、多くの民衆が我先に逃げだした。まさに、都は大混乱に陥ったのである。
貞明公主が江華島に避難しようとしたときも、かなりの数の民衆が船着場にやってきた。誰もが恐怖におののき、一刻も早く安全な場所まで逃げたいと必死だった。
それを見た貞明公主はお付きの者に命令した。
「荷物を全部下ろして、できるだけ多くの民を船に乗せなさい!」
即座にそう言われても、お付きの者たちは躊躇(ちゅうちょ)した。船に積んでいたのは、あまりに高価なものばかりだったからだ。
しかし、貞明公主に迷いはなかった。
彼女は毅然とした意志を示して、船から荷物を下ろさせ、できるだけ多くの人たちを船に乗せた。
命を救われた民衆たちは、口々に貞明公主を称賛した。




「さすがに名高い貞明公主様です。このようなお方の徳のおかげで、さぞかし子孫が繁栄することでしょう」
民衆たちの言葉に間違いはなかった。
貞明公主は夫の洪柱元(ホン・ジュウォン)との間に7男1女をもうけたが、息子たちは相応に出世し、さらに子孫の中から優秀な人物が次々に輩出した。
たとえば、名君と呼ばれた22代王・正祖(チョンジョ)を補佐して活躍した洪国栄(ホン・グギョン)がそうだ。
彼は韓国時代劇『イ・サン』にもよく登場した高官だが、貞明公主の子孫として歴史に名を残した人物であった。
(ページ2に続く)

『華政』の主人公・貞明公主の歴史1「誕生」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史2「悲劇」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史3「才能」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史8「苦難」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史10「晩年」



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