19代王・粛宗(スクチョン)は、張禧嬪(チャン・ヒビン)の他に淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)〔1670年~1718年〕との間にも息子をもうけた。それが21代王・英祖(ヨンジョ)である。英祖は庶民の生活を第一に考える政治を行った。彼がそうした政治をできたのは、ひとえに淑嬪・崔氏の存在が大きかった。
英祖を立派に育てた淑嬪・崔氏
淑嬪・崔氏は、張禧嬪と同じく貧しい身分の出身であり、身分の低さゆえに苦しむことも多かった。淑嬪・崔氏は英祖が庶民のための政治を行なえるように、幼少の頃から厳しく教育した。
もともと彼女は宮中の雑用を行なう仕事をしていた。その過程で粛宗の目にとまった。それは、とある夜だった。
夜中に宮中を散策していた粛宗は、そこで熱心にお祈りをする淑嬪・崔氏を見た。粛宗は好奇心から彼女に「何を祈っているのか」を尋ねた。すると、淑嬪・崔氏は迷わずにこう答えた。
「私は前王妃の身の回りの世話したことがありました。ですから、王妃の資格を剥奪されたのが不憫であり、彼女のために祈っています」
前王妃の仁顕(イニョン)王后は張禧嬪の策略で廃妃となっていた。そんな彼女の安否を熱心に祈る淑嬪・崔氏の忠義心に粛宗はいたく感激し、彼女を側室の1人に招きいれた。
側室になった彼女は、さっそく粛宗の子を授かった。このとき、王宮は悪女・張禧嬪の影響で混乱を極めていた。淑嬪・崔氏はそんな環境の中でも冷静に対処し、英祖をりっぱに育てた。彼女は「名君を育てた母」として後世でも高く評価されている。