海東の盛国
大祚栄は719年に世を去った。
「歴代の王は高句麗の魂を絶対に忘れるな」
この遺言が大祚栄の生き方を端的に表していた。彼は高句麗の民として生き、高句麗の土地を再び取り返したのだ。
大祚栄ほど高句麗を愛した人間は他にいなかった。
その彼の息子が2代王の武王(ムワン)となり、交易を盛んにして渤海の領土をさらに広げた。
この国は日本とも因縁が深く、渤海は使節を何度も日本に派遣している。新羅を牽制するためにも、日本との交流が有益だったのである。
渤海の最盛期は9世紀だった。新羅よりはるかに大きい領土を誇り、“海東の盛国”と呼ばれるほどの繁栄を見せた。
しかし、10世紀に入ると異民族の侵攻を受けて国力が衰え、926年に滅亡した。始祖の大祚栄が「震」を建国してから228年目のことだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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