知りたい朝鮮王朝13/文定王后に翻弄された明宗

文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権のほとんどは母の文定王后が握っていた。

尹元衡と鄭蘭貞

文定王后は、敵対勢力への迫害を続けながら自分たちの力を強化していった。その結果、国政は疎かになっていき、庶民は不満を募らせていく。そうした不安が爆発して事件が起こった。
漢陽(ハニャン/現在のソウル)郊外の壁画に、「上では、女が王の上に立って権力を握り、下では、奸臣たちが権力をかさにやりたい放題。このままでは国が滅亡してしまう。恐ろしいことだ」という落書きが書かれていた。この事実に文定王后は怒った。
「これを書いた犯人は誰だ! 絶対につかまえよ」
当時、文定王后の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が姉の威光で権力を手中にしていた。彼は悪女として有名な鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と組んで、様々な捏造事件を起こしていた。




「これは絶好の機会だぞ。政敵が書いたことにして、奴らをつぶしてやろう」
尹元衡は文定王后に進言して、様々な口実をつけて反対派に厳罰を与えた。
結局、強大になりすぎた文定王后の一派を誰も止められず、国政は非常に不安定になっていった。
(ページ2に続く)

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