日本と韓国の交流史7/浅草寺の縁起

善光寺との関連

東漢氏は、高い造船技術を持っていたことから、海を通って東国にも大いに進出したという。東漢氏で大和の出身と思われる浜成・竹成兄弟が隅田川で観世音菩薩を引き上げるという縁起は何を暗示しているのだろうか。
ここで思い浮かぶのが、善光寺の本尊の「一光三尊阿弥陀如来」のことだ。善光寺縁起によると、信濃の国に住んでいた本田善光が難波に行ったときに水の中から突然に一光三尊阿弥陀如来が現れたという。
水の中から現れたという点で、浜成・竹成兄弟が隅田川から観世音菩薩を引き上げたことと似通っている。しかも、浅草寺でも善光寺でも本尊はまったくの秘仏になっているのだ。
善光寺の本尊は、もともとは朝鮮半島から日本に渡ってきたものだという言い伝えがある。一方、浅草寺の本尊に関しては出自が明かされていない。




しかし、その本尊を見つけた浜成・竹成兄弟が「渡来人の里」を象徴する檜前を姓に持つことから、浅草寺の成り立ちに朝鮮半島からの渡来人が大いに関わっていたということが推定できるのではないか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

日本と韓国の交流史1/海を渡る人々

日本と韓国の交流史2/広開土王の時代

日本と韓国の交流史3/仏教伝来

日本と韓国の交流史8/高句麗と日本




固定ページ:
1 2

3

関連記事

特集記事

ページ上部へ戻る