生没年/1417年~1468年
在位/1455年~1468年
甥の6代王・端宗(タンジョン)から強引に王位を奪った世祖(セジョ)だが、在位した間は懸命に国事に励んだ。世祖は、朝鮮王朝の基本法典「経国大典」の編纂と、王の威厳の強化に精を出した。さらに庶民の生活を第一に考え、民心を安定させることにも力を注いだ。
世祖の苦しみ
世祖は国教である儒教よりも、仏教に積極的だった王としても知られる。野心のために肉親に手をかけることは、儒教では許されないことだったからだ。
世祖は歳を重ねるごとに罪悪感に悩まされるようになり、安寧を求めて一層仏教に傾倒していった。
世祖が仏教を大事にしたのは、彼の家族に起きた不幸な出来事が関わっている。
世子(セジャ/王の後継者)だった長男の懿敬(ウィギョン)が19歳で亡くなってしまったのだ。
一説によると懿敬は昼寝の最中に悪夢を見て、そのまま亡くなったと言われている。
周囲の人たちは、懿敬の死は甥から強引に王位を奪ったことに対する因果応報だと噂した。世祖自身も重い皮膚病に苦しむようになり、自身の行ないを反省するようになった。
1468年、世祖は自らの行ないを悔いたまま、その生涯に幕を下ろした。
記事提供:「朝鮮王朝オッテヨ」
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