悲劇的な6代王・端宗(タンジョン)/朝鮮王朝国王列伝6

生没年/1441年~1457年
在位1452年~1455年

1452年、5代王・文宗(ムンジョン)の早すぎる死によって、残された端宗(タンジョン)はわずか11歳で6代王として即位した。しかし、叔父の首陽大君(スヤンデグン)が王になりたいという野心を持っていた。

王の座を奪われた端宗

1453年、首陽大君は端宗を守る側近たちを殺してしまう。身の危険を感じた端宗は、1455年に首陽大君に王位を譲り上王となった。
首陽大君は7代王・世祖(セジョ)として即位したが、強引なやり方に不満を感じる者は多かった。特に忠誠心の厚かった“死六臣”を中心に、端宗を復位させようとする運動が活発化した。




そんな死六臣のクーデターを鎮圧した世祖だが、端宗が上王のままでは同じようなことが起こると考え、上王の資格を剥奪して都から離れた地に追放してしまった。
それでも、端宗を復位させようとする動きは、一向になくならなかった。
世祖は端宗が生きている限り、復位運動は終わらないだろうと考えるようになった。
1457年9月、ついに世祖は端宗を死罪にした。このとき端宗はまだ16歳の少年だった。
端宗は死後も長い間、王として認められなかった。端宗が王として復位するのは241年後の、1698年、19代王・粛宗(スクチョン)の時代である。

記事提供:「朝鮮王朝オッテヨ」

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