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知りたい朝鮮王朝5/端宗から王位を奪った世祖
1450年に名君の世宗(セジョン)が世を去り、長男の文宗(ムンジョン)が5代王として即位した。文宗は世宗の政治を上手く引き継ぎ安定した政治を行なう。しかし、その治世はわずか2年と短かった。病弱すぎたのである。 … -
叔父に王の座を奪われた端宗/朝鮮王朝の人物と歴史23
端宗(タンジョン)は、叔父である首陽大君(スヤンデグン)に王の座を奪われた人物だ。彼は在位期間が短すぎて王として特に目立った功績を残していない。そんな端宗の歴史は、悲劇と言えるものだった。 幼い王の誕生 5代… -
端宗に忠誠を尽くした死六臣/朝鮮王朝の人物と歴史20
「死六臣」とは、成三問(ソン・サムムン)を初めとした、端宗(タンジョン)に忠誠を誓った6人のことである。どのようにして彼らが「死六臣」と呼ばれるようになったのだろうか。 [caption id="attachment_… -
あまりに哀れな端宗/歴史を面白く読む13
端宗(タンジョン)は、叔父である首陽大君(スヤンデグン)に王の座を奪われた人物だ。彼は在位期間が短すぎて王として特に目立った功績を残していない。そんな端宗の歴史は、悲劇と言えるものだった。 幼い王の誕生 5代… -
悲劇の端宗/康熙奉の朝鮮王朝人物史8
世祖(セジョ)からすると、端宗(タンジョン)がこのまま生きていると死六臣のような事件がまた起こる、と疑心暗鬼になりましした。そこで、端宗を上王から庶民に格下げし、辺境の地に流罪にしてしまいました。さらに、最後は死罪を申し… -
悲惨な最期を遂げた端宗に涙する
「死六臣(サユクシン)」に象徴されるような端宗(タンジョン)復位計画を根絶するためには、端宗を生かしておけない……そう考えた世祖(セジョ)は、ついに非道きわまる行動に着手する。 陸の孤島 身命を賭して端宗(タ… -
晩年の世祖は端宗を殺した祟りに苦しめられた!
7代王の世祖(セジョ)は、甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪して1455年に即位しました。彼はその後も端宗を辺境の地に流罪にしてしまい、さらに、死罪を申し渡します。それは、1457年のことです。端宗は16歳になっていま… -
叔父に王位を奪われた端宗の悲劇/康熙奉の王朝快談4
6代王の端宗(タンジョン)の祖父は4代王の世宗(セジョン)で、父が5代王・文宗(ムンジョン)である。ともに学識にすぐれていた王として有名だ。その血を受け継いで、端宗も文治主義の王政を行なうのに十分な素養を持っていた。 … -
端宗の悲しすぎる運命とは?
命をかけて端宗(タンジョン)を復位させようとした「死六臣」だが、彼らの行動は逆に世祖(セジョ)を頑迷にした。世祖は、ことの発端は“端宗の存在”にあると思いこみ、端宗の身分を剥奪して、身分を庶民に降格させたうえで都から離れ… -
首陽大君は甥の端宗を脅かして王位を強奪した!
王族の首陽大君(スヤンデグン)は、いよいよ自分が行動を起こす時期に来ていることを悟った。側近たちとの密談を繰り返した首陽大君は、1453年10月10日、ついに多くの同志を自邸に招いて決起集会を開いた。 政変を起こした…