タグ:歴史
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朝鮮王朝は1392年に始まってから、王の後継者をめぐって骨肉の争いがあったとはいえ、対外的に平和な日々を過ごしていました。1592年といえば、創設から200周年で記念すべき年だったのですが、お祭り気分は吹っ飛んで存亡の危…
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中宗(チュンジョン)は端敬(タンギョン)王后を離縁したあと、二番目の正妻として章敬(チャンギョン)王后と再婚しますが、彼女は息子を産んですぐに亡くなってしまいます。そこで、中宗は三番目の王妃として文定(ムンジョン)王后を…
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中宗(チュンジョン)は周囲にかつがれて王になったので、クーデターを成功させた人たちに頭があがりません。結果的に、自立性に乏しい王でした。高官たちは中宗に対して「妻の端敬(タンギョン)王妃を離縁してほしい」と迫ります。
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成宗(ソンジョン)は1494年に亡くなり、燕山君(ヨンサングン)が18歳で10代王になりました。彼こそは、朝鮮王朝で最悪と言われる暴君です。政治を省みないで酒池肉林の生活をおくります。それでも、まだ母親の死の真相について…
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廃妃になった斉献(チェホン)王后は、実家で質素に暮らしていました。王宮で自分が仕出かしたことを反省する気持ちも日増しに強くなりました。成宗(ソンジョン)も、王宮を追放された斉献王后のことが気になっていました。
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9代王の成宗(ソンジョン)は資質が優れた王で、政治的業績も多いのですが、女性問題で何かとトラブルを起こしています。不運だったのは、最初の妻が10代で病死してしまったことです。王はすぐに再婚するのが常でしたから、成宗は二番…
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世祖(セジョ)からすると、端宗(タンジョン)がこのまま生きていると死六臣のような事件がまた起こる、と疑心暗鬼になりましした。そこで、端宗を上王から庶民に格下げし、辺境の地に流罪にしてしまいました。さらに、最後は死罪を申し…
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世はすっかり世祖(セジョ)の天下になってしまいましたが、彼にこびへつらう人間ばかりではありません。「やっぱりおかしい。叔父が甥から王座を奪ってはいけない」と憤怒する人々がいて、世宗(セジョン)がハングルを創製するときに貢…
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金宗瑞(キム・ジョンソ)は今でいう総理大臣であり、一番の権力を握っていました。いくら王族の首陽大君(スヤンデグン)でもうかつに手出しはできなかったはずですが、やはり金宗瑞が油断したのがいけなかったと思います。「大虎」と言…
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朝鮮王朝を揺るがす大事件が起こったのは1453年10月10日でした。この日、首陽大君(スヤンデグン)が金宗瑞(キム・ジョンソ)の邸宅を急に訪問したのです。そのとき、どんな出来事があったのでしょうか。
首陽大君…
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