タグ:歴史
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朝鮮(チョソン)王朝は1392年に建国されて1910年まで続いた。なんと518年に及ぶ長い王朝で、日本でいえば室町時代から明治時代まで存続した。なぜこれほど長期にわたって政権を維持できたのか。
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本当に暴君?
朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。
ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起を…
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鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正妻だった文定(ムンジョン)王后の側近だ。王宮内で暗躍した手先であり、ドラマ『女人天下』の主人公のモデルになっている。
野望をかなえるために
鄭…
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朝鮮王朝では、国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と呼びました。筆頭候補は王の長男ですが、健康面や能力を見て二男以下が選ばれることもありました。その最終決定者は現役の王であり、王は春の吉日を選んで世継ぎを決めました。…
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朝鮮王朝の歴代王の子供の数を見ると、前期と後期で違いがある。わかりやすく言えば、前期の王には子供が多かったのに、後期には少なくなっている。これは、王の側室が前期に10人ほどいたのに、後期になると半減したことが影響している…
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1592年、大陸制覇の野望を抱いた豊臣秀吉が諸大名を動員して朝鮮半島に攻め入ったとき、朝鮮王朝は創設200年を迎えていました。この200年は外敵の侵攻がほとんどなく、穏やかな期間でした。逆に言えば、国防がおろそかになって…
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許浚(ホ・ジュン)は1539年に生まれました。彼にとって宿命的だったのは、庶子(妾の子供)であったことです。朝鮮王朝時代は身分制度が厳格で、庶子は出世できないことになっていました。
医師として大成
庶子であった許浚は…
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朝鮮王朝は儒教を国教にしたが、この場合の儒教とは具体的に“朱子学”のことであった。朱子学は、中国の宋代に興った儒教の一派で、朱子(1130~1200年)によって集大成された。
非常に理屈っぽい学問
それまで教訓的な説…
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朝鮮王朝の前の高麗王朝は典型的な仏教国家であった。なにしろ、初代王となった王建(ワン・ゴン)は子孫が守るべき訓戒の中ではっきりと“仏教を重んじること”と言い残していたのである。しかし、朝鮮王朝になって仏教は変わった。
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朝鮮王朝は27人の王を擁(よう)して1392年から1910年まで続いた。518年という長期に及んだ一大王朝だったのだ。朝鮮王朝はなぜこれほど長寿の王朝になったのだろうか。
国教は儒教
李成桂(イ・ソンゲ)が初代王の太…
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