張禧嬪の悪あがき
張禧嬪は決して安穏としてはいられなかった。いつ粛宗の気が変わるかわからなかったからだ。
そういう不安をぶつける相手が、張禧嬪にとっては仁顕王后だった。性格が優しすぎるのをいいことに、張禧嬪は何かと仁顕王后にきつく当たった。
その最たることが呼び方だった。
本来なら、側室も女官も王妃のことを「中殿(チュンジョン)」と呼ばなければいけないのに、張禧嬪はいつも「閔氏(ミンシ)」という姓を呼んだ。敬称をはぶくというのは、当時としては非常に無礼なことだったのだが……。
いやがらせはひどくなる一方だった。
張禧嬪は女官に仁顕王后の寝殿の窓に穴をあけさせ、中を覗いて見たことを周囲に言いふらすようにした。
ここまで張禧嬪が仁顕王后を愚弄したのは、王妃に復帰したいという気持ちが強すぎたためだ。
すでに粛宗の寵愛を失っているのに、張禧嬪は悪あがきをやめなかった。結局、王妃復帰に執着すればするほど張禧嬪の悪評も日増しに強くなっていった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)