あまりに不条理
2カ月後に昭顕世子は急死してしまった。
仁祖によって毒殺されたとか、鍼で殺されたとか、そんな風評が立った。それを裏付けるように、仁祖は昭顕世子の葬儀を冷遇した。まがりなりにも世子だったのに、まるで末端の王族のような扱いだった。
亡くなった昭顕世子には3人の息子がいた。本来、世子が死ぬとその長男が継ぐのが原則なのだが、仁祖は昭顕世子の弟、つまり自分の二男を王にした。
さらに、姜氏に「自分を毒殺しようとしていた」と嫌疑をかけて死罪にし、3人の息子を済州島に流してしまった。
それほどに、仁祖は昭顕世子とその家族が憎かったのだ。
かつて、光海君をクーデターで追放したとき、彼に怨みを持つ人たちから「殺すべきだ」と進言されても仁祖は断った。
そんな仁祖が、自分の長男の家族を滅ぼしてしまうのである。王家の正統な後継者であったはずなのに……。
歴史には不可解なことが多いが、この一件もあまりに不条理だ。
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