王権をわがままに使う
粛宗は党派の対立を見越したうえで、自分に対して忠誠を尽くす側を厚遇するという手法で王の権威を高めていった。そういう意味で、粛宗はしたたかな政治力を持った王であった。
ここまでの話であれば、粛宗が名君として揺るぎない評価を得るのが当然かもしれない。しかし、彼とて完璧ではない。むしろ、ほころびが目立つ王でもあった。その最たることが女性問題だった。
彼は、王妃や側室の間の争いをおさめることができなかった。それどころか、自ら火種を持ち込むことも多かった。宮中の「大奥」を混乱させた張本人と言われても、仕方がない面があった。
1689年に仁顕(イニョン)王后をいきなり廃妃にして、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させた。しかし、5年後には張禧嬪を再び側室に戻し、一度は実家に帰した仁顕王后を再び正室に迎えている。
すべて粛宗の独断で行なったことで、こんな国王は朝鮮王朝でも前代未聞だった。しかし、それを平然とやってのけるところが粛宗らしいともいえる。彼は王権をわがままに使いこなせる国王であったのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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