端宗は祖父の世宗も認めた聡明さを持っていた!

6代王の端宗(タンジョン)は、7歳のときに4代王・世宗(セジョン)によって世孫(セソン/王位を継ぐ王の孫) に指名され、9歳のときに父が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したので、世子(セジャ/王の後継者)になった。






少年国王の孤独

端宗は、文宗が1452年に亡くなったことによって11歳で王となった。
国の主人であり、民の父である王。この上なく高貴で重要な存在だが、それだけ危うい席であることも歴史が語っている。頼れる人のいない広い王宮でたった一人残された少年の王は心細かった。
王が幼い場合、王の生母が垂簾聴政(すいれんちょうせい/摂政のこと)をするのが慣例だったが、端宗には生母も祖母もいなかった。
そのため、端宗の先王の文宗は、死に間際に幼い端宗を大臣たちに託した。したがって、端宗の即位後には議政府(ウィジョンブ/朝鮮王朝の政府機関) が政治を担った。王は形式上の決済をやるだけで、実際の決定は議政府が行なったのだ。
それでも王権に揺るぎはなかった。当時、議政府の長だったのは金宗瑞(キム・ジョンソ)を初めとする老大臣たちだった。彼らは世宗の代から3代続いて朝鮮王朝のため尽くしてきた名臣で、世宗からも文宗からも、幼い端宗を頼まれた顧命大臣(王の遺言を承った臣下) だった。




端宗もまだ幼いとはいえ、4年間も帝王授業を受け、祖父の世宗も認めた聡明さを持っていた。彼は即位後に少しずつ、王としての任務に慣れ始めていた。実際、端宗は王になって何カ月も経たないうちに、大臣たちに自分の意思をはっきり主張した。つまり、王としての威厳を持ち始めたのだ。学ぼうとする心を忘れずにいた少年王の端宗は、確実に成長していった。
このまま何年か経てば、成人して立派な王になるはずだったのだが……。

構成=「チャレソ」編集部

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