イ・サンこと正祖は即位すると、父の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった老論派の粛清に乗り出した。最初に標的にしたのは、洪麟漢(ホン・イナン)である。彼こそが世孫時代の正祖を何かにつけて攻撃してきた張本人だった。
亡き父の仇を取るために
正祖は、洪麟漢が母の叔父であることを考え、露骨に処刑するのは控えた。
とりあえず地方に流罪にしたうえで、後に賜死(ササ/死薬を与えられて自決すること)となった。
その洪麟漢と同様に正祖が憎悪していたのが和綏翁主(ファワンオンジュ)だった(翁主とは側室が産んだ王女を意味している)。
この和綏翁主は思悼世子の実の妹であった。つまり、正祖にとっても叔母に当たる女性だ。
その和綏翁主が、兄である思悼世子の死に関係し、甥である正祖の追放を画策していたのである。
「同じ血が流れているとは信じられない……」
正祖があきれるのも無理はなかった。
和綏翁主は不和だったという理由だけで自分の兄を平気で死に追いやる女性だった。その懲罰として、正祖は和綏翁主を王族から平民に降格させた。叔母であるという事実を重んじて、それ以上は罰しなかった。
ただし、和綏翁主の養子となっていた鄭厚謙(チョン・フギョム)を流罪にしたうえで賜死にした。この鄭厚謙は和綏翁主の手先となって暗躍した男だった。
正祖は父の死に関係した者たちを厳しく処罰したが、扱いが非常に難しかったのが洪鳳漢(ホン・ボンハン)だった。
洪鳳漢は正祖の母方の祖父である。母は断食までして自分の父の処罰に反対した。老論派の重鎮であった洪鳳漢が裏で思悼世子の廃嫡をはかったことを知っていた正祖は、祖父を厳罰に処したかったのだが、母の抵抗にあってそれが難しくなった。
ただし、老論派に属さない多くの高官たちが洪鳳漢の処刑を請願してきた。その主張は正祖から見て理にかなっていたが、だからといってすぐに実行できることではなかった。正祖の思案はしばらく続いた。
やがて彼は、洪鳳漢が世孫時代の自分を守ってくれたこともあったと思い直すようになった。
<血のつながっていない父を見殺しにしたが、血を受け継いでいる孫にはむしろ味方になってくれたのかも……>
そう思い至ってから正祖は洪鳳漢を処罰しなかった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!
『イ・サン』で描かれた正祖(チョンジョ)こそが真のリーダー!