悪の手先だった鄭蘭貞

ついに「貞敬夫人」に!

世子は子年の生まれだった。
不可解な出来事は世子の将来を不吉に見せる仕業と思われた。誰がこんなことをしでかしたのか。
執拗に犯人探しが行なわれた結果、当日の敬嬪・朴氏の行動が怪しいということになり、彼女は宮中から追放された。
しかし、現在では「灼鼠の変」をしかけたのは鄭蘭貞だ、という説が有力になっている。彼女は文定王后の敵をつぶすためなら、どんなことでも率先して行なった。
その褒美として、鄭蘭貞は文定王后から「自由に王宮を出入りしていい」という許しを得た。この特権は鄭蘭貞を有頂天にさせた。彼女は王宮内で我がもの顔にふるまうようになった。
ついには、尹元衡と共謀して彼の妻を毒殺し、その後釜にすわった。念願だった尹元衡の正妻となった彼女は、従一品の品階を授与された。




この品階をもつと、「貞敬(チョンギョン)夫人」と尊称されるのだが、そう呼ばれる気分は最高だった。
(ページ3に続く)

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