悪用される制度
1545年に明宗が即位したときはまだ11歳だったので、慣例にしたがって文定王后が垂簾聴政をした。
これは朝鮮王朝にとって、とても不幸なことだった。
当時は凶作が多く、餓死者が次々に出ていたのに、文定王后は庶民の生活に見向きもしないで、一族の利権を独占する政治を続けた。その手先になったのが、『オクニョ 運命の女(ひと)』にも登場する弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)や、その妾(後に妻)だった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。
明宗は、垂簾聴政をする母の悪行に苦しんだ。しかし、王であるとはいえ、親政ができない彼にはどうすることもできなかった。
さらに、明宗が成人したあとも文定王后は「陰の女帝」として君臨し、彼女は1565年に死ぬまで実質的な垂簾聴政を続けた。
このように、垂簾聴政という制度は、それを担う王族女性の意向でいかようにも歪められてしまう。しかも、この制度を徹底的に悪用したのが文定王后だったのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)