太祖と呼ばれた王建/高麗時代の人物と歴史1

朝鮮半島を統一

暴君を倒して新しい政権をつくった王建と同志たち。古今東西の歴史をみれば、クーデターに成功した人たちが欲を出して内紛に明け暮れることがよくあるが、王建の場合はそうならなかった。彼には人徳があり、その才能を周囲の誰もが認めていた。彼は仲間たちに推挙される形で最高権力者にのぼりつめた。
918年、王建は国号を「高麗」と改め、自ら初代王になった。この国名にはかつて最大版図を誇った高句麗を慕う気持ちが込められていた。そして、王建は都を故郷の開城に築いた。
ただ、この時点で朝鮮半島は完全に分裂していた。南東部には勢力が弱まった新羅があり、西南部は百済の後継国を自認していた後百済が支配していた。この後三国時代において、高麗は新羅を援護し、後百済の滅亡を狙った。
935年、新羅は自らの王朝の存続をあきらめ、高麗に帰順した。「吸収合併してほしい」というわけだ。王建に異存があろうはずもなかった。その翌年、王建は内紛を起こして混乱していた後百済を滅亡させ、朝鮮半島を統一した。




それより先の926年には渤海が契丹によって滅ぼされており、高句麗を父祖とする遺民が流浪していた。こういう人たちも高麗は積極的に受け入れていった。
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