太祖と呼ばれた王建/高麗時代の人物と歴史1

訓要十条とは何か

朝鮮半島の歴史において高麗が評価されるのは、真に民族の統一を実現させたということである。以後、1910年に朝鮮王朝が終わるまで、単一の中央政府が朝鮮半島をずっと統治した。
大事業を成し遂げて王建は943年に66歳で世を去るが、高麗の未来を案じながら重要な遺言を残した。それが有名な「訓要十条」である。内容は以下の通りだ。
・仏教を重視すること
・風水地理説を尊重すること
・王位は原則的に嫡男が継承すること
・八関会と燃燈会は真心を込めて行なうこと
・平壌(ピョンヤン)を重要地と考えること
・契丹に気をつけること
・王と家臣は民を愛し、正しい政治を行なうこと
・有能な人材を登用すること
・官吏の賞罰は公正に行なうこと
・王と家臣は徳を積むこと




この中で、八関会は土俗神を祀る儀式のことであり、燃燈会は旧暦1月15日に行なう法会(火をともして仏に幸運を祈願する行事)のことだ。また、平壌は高句麗の都があった場所で、それほど王建は高句麗に尊敬の念を抱いていたのである。
また、「訓要十条」で特に大事だったのが仏教の保護。結果的に、高麗は典型的な仏教国家になった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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