貞明公主・後編/朝鮮王朝の人物と歴史40

14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后は、優れた書をしたためることでともに評価が高かった。その2人の血を受け継いだ貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。書の才能が抜きんでていた。生活が苦しく日用品が不足していたのだが、その中でも貞明公主は何とかやりくりして紙と墨を用意して、長い時間、書と向き合った。それは、母である仁穆王后をなぐさめるという目的もあった。

写真=韓国MBC『華政』公式サイトより




「華政」の意味

仁穆王后は娘の貞明公主が筆を取っている姿を見るのが大好きだった。そのことを貞明公主はよく知っていたので、母を喜ばせたい一心で書の時間を増やしていた。
才能があるだけに、貞明公主はすばらしい書を残している。
「華政」
それが、貞明公主の有名な書の文字である。「華やかな政治」という意味だ。ドラマ『華政』も、この文字をタイトルにしているのである。
彼女は幽閉中でも、決して人生を諦めなかった。普通の王女であれば、10代の前半で名家の御曹司と結婚するのが常だったが、貞明公主はそんな境遇ではなかった。結婚どころか、いつ光海君が刺客を送ってくるともかぎらなかったのだ。
そんな苦しい境遇の中でも、貞明公主は希望を捨てなかった。
「華政を実現できるときがきっと来る」
そんな思いで、苦しい監禁生活に耐えたのである。




西宮に幽閉されて過酷な生活を強いられていた仁穆王后と貞明公主。2人にとって救世主となったのが、宣祖の孫であった綾陽君(ヌンヤングン)だった。
彼は1623年にクーデターを成功させて、光海君を王宮から追放した。こうして綾陽君は16代王・仁祖(インジョ)として即位した。
そのとき、貞明公主は20歳になっていた。幽閉されていたために、結婚もできなかった。通常の王女は10代前半に名家の御曹司と結婚するというのに……。
婚期が遅れた貞明公主に対して、母の仁穆王后は迅速に動いた。クーデターが成功した数日後には、早くも貞明公主の婿を選抜する行事を推進した。
しかし、婿選びは難航した。
理由は貞明公主が20歳を過ぎていたからだ。
当時、そこまで未婚でいる上流階級の女性はいなかった。しかも、王女の相手にふさわしい男性は10代の半ばまでに結婚してしまっていて、候補になる男性があまりいないような状況だった。




仁穆王后が貞明公主の婿選びにあまりに熱心だったので、仁祖も全面的に協力した。その結果、選ばれたのは高官の息子であった洪柱元(ホン・ジュウォン)だった。
洪柱元は1606年に生まれている。貞明公主が1603年の生まれなので、婿のほうが3歳下だった。
(ページ2に続く)

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