イ・サンの母であった恵慶宮/朝鮮王朝の人物と歴史41

21代王・英祖(ヨンジョ)の長男は孝章(ヒョジャン)という人だが、9歳で病死してしまった。そこで二男の荘献(チャンホン)が世子となった。彼は頭脳明晰だった。英祖は10代半ばの荘献に政治の一部を代行させ、荘献も期待に応えて民のための政治を実行した。ただし、その過程で利害がぶつかったのが、英祖を支持する老論(ノロン)派だった。

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包囲されていた世子

荘献を陥れたい老論派は、荘献の悪い話を、尾ひれを付けて英祖の耳に入れた。ここで暗躍するのが英祖の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后と、荘献の妹だった和緩(ファワン)王女である。
この和緩王女には鄭厚嫌(チョン・フギョム)という養子がいて、彼が裏で暗躍した。鄭厚嫌は英祖に気に入られていたので、彼が荘献の良からぬ話を持ち出すと、英祖も真に受けてしまった。
さらに、荘献には敵がいた。それは、妻の恵慶宮(ヘギョングン)の実家だ。具体的には、妻の父親の洪鳳漢(ホン・ボンハン)と叔父の洪麟漢(ホン・イナン)である。特に洪麟漢は露骨に荘献を陰謀に巻き込もうとした。
このように、継母、妹、妻の実家によって包囲されていた荘献。彼は頭脳明晰とはいえ、側室を殺したりするなど素行に問題があった。ただし、原因は老論派が荘献に毒を盛っていたから、という説もある。今で言うところの興奮剤を荘献は老論派によって飲まされていたというのだ。




身内に包囲されていた荘献は失点を重ねていった。さらに荘献が住む東宮の下級役人が「世子に謀反の動きがあります」と訴え出てしまった。
激怒した英祖は荘献に自害を命じたが、荘献は自決することができなかった。すると、英祖は米びつを運ばせて荘献を閉じ込めてしまう。8日目に米びつを開けてみたら、荘献は餓死していた。
このとき、妻の恵慶宮はどうしていたのか。
自分の父親と叔父が加担していることをどのくらい把握していたのか。
彼女は何もできなかった。そればかりか、自分の夫が罪人として餓死したあおりで、世子の妻としての身分を剥奪されて実家に帰されてしまった。
ただし、英祖は荘献が世を去ったあとで後悔の念が強くなり、息子に「思悼(サド)世子」という尊号を贈っている。
1776年、恵慶宮の息子の正祖(チョンジョ/ドラマ『イ・サン』の主人公)が即位したとき、彼は自分の父親を陥れた連中を根こそぎ粛清した。
和緩王女は平民に格下げとなり、鄭厚嫌は死罪となった。その粛清の嵐は恵慶宮の実家にも及んだ。洪麟漢は死罪となり、洪鳳漢は高官の身分を剥奪された。恵慶宮の実家は完全に没落したのだ。自分の息子が王になったわけだから、そのことは恵慶宮もうれしかったと思われるが……。




王の母となった恵慶宮が妙なのは、自分の夫が策略で亡くなっているにもかかわらず、徹底的に自分の実家を守ろうとしたところだ。彼女は『恨中録(ハンジュンノク)』(『閑中録』と表記される場合もある)という私小説を書くが、その中で「自分の夫は精神的に異常で奇行が多かった」「父や叔父は悪くない」ということを徹底的に書いている。
実家を守るためとはいえ、不遇の最期を遂げた夫に対してそこまで書くか、というところだ。彼女は後半生を実家の名誉を守るために捧げた。
恵慶宮は、息子の正祖が1800年に48歳で亡くなったあとも長生きした。王は孫の純祖(スンジョ)がなっていたが、この純祖の摂政をしたのが貞純王后である。恵慶宮からすれば貞純王后は形のうえで母になるが、恵慶宮は1735年の生まれで、貞純王后は1745年の生まれだ。恵慶宮のほうが10歳も年上である。
これは、最初の正室を亡くして還暦を過ぎていた英祖が10代の娘を二番目の正室にしたからだ。
恵慶宮の心境はどんなに複雑だったことだろうか。そんな彼女は80歳まで長生きして、王宮の生き証人になった。




それだけ、実家の名誉を守る期間が長かったということだ。
荘献は正祖が即位したあとに王に追尊されて「荘祖(チャン)(ジョ)」という尊号を贈られている。夫が死後に王となったので、恵慶宮も「献敬(ホンギョン)王后」という尊号を受けた。王妃の一人に列せられたのだ。
王妃の中で、恵慶宮より長生きしたのは6代王・端宗(タンジョン)の正室だった定順(チョンスン)王后だけ。彼女は81歳まで生きた。
定順王后と恵慶宮。ともに夫が若いときに悲劇的な最期を遂げている。そんな2人の妻が、結局は王妃の中で一番長く生きたのである。

文=「チャレソ」編集部

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