明宗が期待した後継者
「この冠は王様だけがかぶる資格のあるものです。軽い気持ちでかぶるなんて恐れ多くてできません」
子供ながらに王の偉大さを十分に理解していた河城に、明宗は感服した。この日から、明宗は河城に特別目をかけるようになる。
「河城ならば私の後を継ぐことができるだろう」
明宗から徹底的に帝王教育を受けた河城。メキメキと実力を増していく姿は、明宗を喜ばせ、一段と寵愛を受けるようになった。
しかし、明宗の体調は日に日に悪化するばかりだ。1567年、明宗は満足に話すこともできないくらい衰弱していった。臣下たちは、後継者争いが起こるのを恐れ、弱り切った明宗におうかがいを立てた。
「殿下、後継ぎにはどなたをお考えですか。どうかご決断ください」
病床に伏していた明宗は、まぶたを閉じると、隣の部屋を指差した。そこには、明宗の妻がいて、彼女に全権を任せるということだった。明宗は後顧の憂いを断ち、1567年に亡くなった。
妻が指名したのは、周囲の予想通り河城だった。
「河城様は、殿下がもっとも期待したお方。立派な王になることでしょう」
こうして、河城は14代王の宣祖(ソンジョ)となった。
しかし、周囲の期待とは裏腹に、彼の治世下では数々の受難が襲ってくる。まさに、大変な世の中が訪れようとしていたのだ。
文=「チャレソ」編集部