知りたい朝鮮王朝14/都を捨てて逃げた宣祖

14代王・宣祖(ソンジョ/在位は1567~1608年)が即位してから25年間が経過した1592年は、朝鮮王朝建国200年の節目の年だった。この記念すべき年に隣国からやってきたのは、祝賀の使節ではなく、10万を越える大軍だった。壬辰倭乱(イムジンウェラン/日本でいえば文禄の役)の始まりである。





対立した報告

朝鮮王朝では、日本を統一した豊臣秀吉に不穏な動きがあることを察知していた。
宣祖は腹心たちを集めると、「黄允吉(ファン・ユンギル)と金誠一(キム・ソンイル)の2名を代表とする使節を日本に派遣しよう。日本の様子を見てきてくれ」と命じていた。
ところが、帰国した2人はまるで別の見解を述べた。
使節の正使であった黄允吉は、「今すぐにでも攻め込んでくる可能性があります」と報告して、戦の準備を勧めた。
一方、副使の金誠一は「攻めてくる様子はありません。なんの心配もいらないでしょう」と述べた。
この当時、金誠一が所属する派閥のほうが王朝内で力が強かった。こうした派閥力学も関係して、金誠一の報告が受け入れられた。
それが大きな落とし穴にもなった。




熾烈な戦国時代を戦い抜いた豊臣軍。一方で、平和な時代を過ごしてきた王朝軍。両国は戦力に徹底的な差があった。
(ページ2に続く)

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