22代王が即位
英祖は思悼世子の死後、思悼世子の息子を世孫(セソン/王の後継者となる孫)に指名した。世孫は悲しみを乗り越えて、立派な王になるべく帝王学を必死に学んだ。とはいえ、彼の立場はとても危ういものだった。
父を死に追いやった臣下たちが報復を恐れて、息子を失脚させようともくろんでいた。世孫にとって恐ろしいのは、宮中でそうした派閥が最も力を握っていたことだ。そのため、命を狙ってくる刺客は多く存在しており、世孫は寝るときも襲撃にそなえて常に衣服を着ていた。
もちろん、父の仇を討ちたいという衝動が強かったのだが、必死に耐えながら王になる日を待ち続けた。
死と隣あわせの生活を送りながらも忍従の日々を送った世孫。1775年になると、80歳を超えた英祖は自分が高齢で病気がちなことを理由に、政務のほとんどを世孫に任せるようになった。翌年、英祖は82歳で亡くなり、世孫が22代王の正祖(チョンジョ)として即位した。
この正祖こそが、ドラマ『イ・サン』の主人公になった名君だった。
文=「チャレソ」編集部