政権を奪った閔妃
閔妃は、もともと安東・金氏のような外戚勢力の台頭を防ぐため、力の弱い一族から興宣大院君が直々に選んだ娘だった。しかし、閔妃は興宣大院君の目を盗んで、高宗や他の王族を味方に付けて、自分の一族を要職に就けていった。
こうなると興宣大院君の立場はどんどん弱くなる。高宗が20歳の誕生日を迎える頃には、大院君は権力を失って宮中から追放されてしまった。
「力のない一族の娘だからと軽く見ていたのが失敗だった。まさかこんな目にあわされるとは……」
そう嘆く大院君だが、彼は政権を取り戻すためにあらゆる復権工作を行った。それによって朝鮮王朝内の混乱はひどくなる一方だった。
しかし、今や権力を握っていたのは閔妃のほうだった。彼女は興宣大院君と反対に開国政策を進めた。
この政策はそれ以前の方針とガラリと違ったために、政治的に新たな混乱を招いたが、外国の最新技術が国内に入ってきて様々な学術分野が発展したのも事実だった。
文=「チャレソ」編集部