文定王后(ムンジョンワンフ)は朝鮮王朝三大悪女よりもっとワルだった!

悪政の張本人

騒動の最中だった6月29日、仁宗の病状が極度に悪化した。
そんな緊急事態の中で、文定王后がまたもや外出を言いだした。これには高官たちもあきれるしかなかった。
7月1日、ついに仁宗が亡くなった。人格者であった王の急逝を受けて、庶民の多くが号泣した。
それなのに、文定王后は仁宗の葬儀を冷遇した。その理由は、「在位が1年にも満たないので、慣例を踏襲しなくてもいい」ということだった。
文定王后の意向で、葬儀は簡略化され、陵墓も格下げとなった。その仕打ちは、仁宗の名誉を著しく傷つけた。
結局、慶源大君が仁宗の後を継いで13代王の明宗(ミョンジョン)となったが、世間では文定王后が仁宗を毒殺したと噂した。




つまり、文定王后が仁宗に勧めた餅に毒が塗ってあったというわけだ。
ありうる話だ。
明宗はまだ11歳と幼かったので、文定王后が政治のすべての実権を握った。それによって、朝鮮王朝は悪政にまみれた。
絶対に政治に関わってはいけない悪女が女帝のようにふるまったのが、朝鮮王朝にとって悲劇だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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