[ 端宗 ]の検索結果

  • 正史とはいえ「端宗実録」の記述は偏っていた!

    朝鮮王朝の正式な記録である「朝鮮王朝実録」に入っている「端宗実録」は、代表的な汚点と言える。元は、端宗(タンジョン)が身分を落とされたときの「魯山君(ノサングン)」という名が入った「魯山君日記」として編纂されたが、編纂の…
  • 端宗は祖父の世宗も認めた聡明さを持っていた!

    6代王の端宗(タンジョン)は、7歳のときに4代王・世宗(セジョン)によって世孫(セソン/王位を継ぐ王の孫) に指名され、9歳のときに父が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したので、世子(セジャ/王の後継者)になった。 …
  • 悲劇の国王・端宗(タンジョン)/朝鮮王朝歴史全集4

    端宗(タンジョン)の復位を狙って世祖(セジョ)の暗殺を狙った6人は、「死六臣」と呼ばれて庶民から大きな尊敬を集めます。忠義に殉じた高潔な志士というわけです。世祖からすると、端宗がこのまま生きていると死六臣のような事件がま…
  • 悲劇的な6代王・端宗(タンジョン)/朝鮮王朝国王列伝6

    生没年/1441年~1457年 在位1452年~1455年 1452年、5代王・文宗(ムンジョン)の早すぎる死によって、残された端宗(タンジョン)はわずか11歳で6代王として即位した。しかし、叔父の首陽大君(スヤンデグ…
  • 金宗瑞(キム・ジョンソ)はなぜ端宗(タンジョン)を守れなかったのか

    1452年に5代王・文宗(ムンジョン)が亡くなり、長男の端宗(タンジョン)が6代王となりますが、まだ11歳でした。この幼い端宗の後見人となったのが「大虎」と称された金宗瑞(キム・ジョンソ)でした。 首陽大君との対立 …
  • 〔あまりに悲しき端宗(タンジョン)の運命!〕

    母の愛を知らずに育った もし朝鮮王朝から1人だけタイムスリップさせることができるとすれば、誰を選ぶだろうか。 すぐに思い浮かんだのが、6代王の端宗(タンジョン)だった。 端宗は、祖父が4代王・世宗(セジョン)で父が5代…
  • 「死六臣」とは誰なのか

    甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪して7代王の世祖(セジョ)が即位した。しかし、非道な王位継承に多くの臣下たちが反対した。その中心人物の成三問(ソン・サムムン)たちは、昌徳宮(チャンドックン)で開催される宴席の場で世祖…
  • 史実の王朝人物伝2「世祖」

    朝鮮王朝時代に王の後継者を決める際に様々な争いがあった。7代王・世祖(セジョ)として即位した首陽大君(スヤンデグン)は、本来は二男で王になる資格がなかったが、王になることに対して強い野心を秘めていた。そこで、彼はとんでも…
  • 『雲が描いた月明り』総決算20「イ・ヨン(孝明世子)の長男が憲宗として即位!」

    『雲が描いた月明り』の主人公として、韓国でもすっかり有名になった孝明世子(ヒョミョンセジャ)。彼は21歳で亡くなったので、世子(セジャ)でありながら王にはなれなかった。 わずか7歳で即位 孝明世子は、23代王…
  • 王妃たちが国母であった時代「第2回」

    世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したが、病弱によって2年で亡くなり、その息子がわずか11歳で6代王・端宗(タンジョン)となった。 孤立した幼い王 世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗…

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