タグ:歴史
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正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に身分が低くても才能がある人を抜擢して、将来に…
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正祖(チョンジョ)の即位後の第一声が「朝鮮王朝実録」に詳しく出ています。そのとき正祖は居並ぶ臣下を前にしてこう言いました。「嗚呼!寡人は思悼世子(サドセジャ)の子なり」。この「寡人」というのは、王が自分のことをいうときの…
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粛宗(スクチョン)は1720年に59歳で世を去ります。後を継いだのは張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子で、20代王の景宗(キョンジョン)として即位しました。この景宗はとても性格がよかったそうで、張禧嬪とは違って人望もありまし…
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せっかく王宮に戻ってきた仁顕(イニョン)王后ですが、病弱で床に臥せっていることが多かったようです。その末に1701年8月に亡くなりました。このとき、張禧嬪(チャン・ヒビン)が祠を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが…
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仁顕(イニョン)王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラマの中で仁顕王后は、「自分は罪人ですから、実家に戻っても粗末な離れで暮らします」と本当に…
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19代王の粛宗(スクチョン)は孝宗(ヒョジョン)の孫にあたります。在位期間中は農業と商業を活性化させて庶民の生活水準を向上させたことが功績になっています。ドラマ「トンイ」では俳優のチ・ジニが親しみやすい粛宗に扮しています…
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清の人質になった昭顕(ソヒョン)はどうなったでしょうか。彼は長い抑留生活を経て1645年に戻ってきました。さぞかし、やつれているかと思ったら、そうではありませんでした。彼は清に居住している西欧人たちとも交流を深め、自分の…
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クーデターを成功させた綾陽君(ヌンヤングン)は、16代王の仁祖(インジョ)になります。諡(おくりな)に「祖」がついていますから、名前だけ見ると政治的にどれほど功績があったのかと思う人もいるでしょうが、実際には屈辱にまみれ…
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1623年、クーデターが起きます。リーダーになったのは綾陽君(ヌンヤングン)という28歳の若者で、宣祖(ソンジョ)の孫にあたります。自分の弟が光海君(クァンヘグン)の側近によって殺された怨みもあり、同じく光海君に怨みを持…
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1598年、豊臣秀吉が世を去ったのを機に豊臣軍は引き上げました。この戦乱のさなかに、朝鮮半島から日本に5万人ほどが捕虜として連行されています。その多くは農民ですが、陶工も少なくありませんでした。九州の諸大名は陶工を捕虜に…
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