過去の記事一覧
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1720年6月8日に19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなった。このとき、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に1688年に生まれた王子が世子(セジャ/国王の正式な後継者)になっていた。彼が、20代王・景宗(キョンジョン)…
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『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン』の主人公になっているホン・ギルドン。もともとは、許筠が書いた小説『ホン・ギルドン(洪吉童)伝』であまりに有名なキャラクターだ。この小説の中で、ホン・ギルドンはどんな人物として描かれているの…
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世子(セジャ)といえば、国王の正式な後継者です。それなのに、命を奪われてしまった3人の世子がいます。果たして、志なかばにしてこの世を去った3人とは、誰なのでしょうか。
あまりに悲しき運命
3人の世子とは、李芳…
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朝鮮王朝では、王室の結婚式のことを「国婚(クッコン)」と呼んでいました。この「国婚」には、王妃を迎える儀式、世子(セジャ/王の後継者)の妻を迎える儀式、王子が妻を迎える儀式、王の娘が嫁に行く儀式の4種類がありましたが、も…
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景福宮(キョンボックン)は朝鮮王朝の建国当初から正宮だった。それほど重要な場所であったのに、1592年の豊臣軍の攻撃時に焼失してから、再建されずにずっと放置されたままだった。
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王の食膳に並べられた豪華料理の数々。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思っていたが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何のため? 答えは「見るため」だった。
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王は朝鮮王朝において絶大な権力を持つ。しかし、歴代の王にとって悩みの種だったのが、地方の役人たちの不正だった。悪徳役人が監視の目を盗んで私利私欲のために庶民の生活を圧迫することがよくあった。そうした悪徳役人を摘発するため…
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朝鮮王朝の歴史で注目したいのは、歴代王の即位に至る経緯である。なぜそこにこだわるかといえば、王権の安定に決定的に影響していたからだ。もっとわかりやすくいえば、「正室から生まれたのか、側室から生まれたのか」「長男なのか、二…
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朝鮮王朝の一番の弊害と言われたのが「党争」ですが、中でも「党争の元凶」と称されたのが宋時烈(ソン・シヨル/1607~1689年)です。彼が高官だった17世紀後半は朝鮮王朝でも一番党争が激しい時期でした。
論争となった…
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朝鮮半島の本土からはるかに離れた場所にある孤島・済州島(チェジュド)。古くから稲作が難しく米は大変貴重なものであった。島民たちは島の特産物を本土へ運んでは、米や最低限の生活必需品を買って生活していた。
生活に…
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