トンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)のライバル物語5「真相は闇」

兄の毒殺疑惑

粛宗は、張禧嬪の葬儀を格式高く行なっています。喪に服す期間も、正式な王妃より1日少ないだけで、かなり張禧嬪の葬儀を優遇しているのです。
粛宗は、なぜそこまでしたのでしょうか。罪人として自決を命じた割には、張禧嬪のことをずいぶんと尊重しています。一方で淑嬪・崔氏に関しては法律で王妃になることを禁じたうえに、新しい王妃が来たときに王宮の外に放り出しているのです。このあたりの粛宗の行動をどう解釈すればいいのでしょうか。
淑嬪・崔氏は1718年に亡くなり、粛宗も1720年に世を去ります。
そして、張禧嬪が産んだ息子が20代王・景宗(キョンジョン)となりました。彼には子供がいませんでした。もし景宗が世を去れば、異母弟(淑嬪・崔氏の息子)が自動的に王位を継承します。
実際、景宗は即位して4年で世を去り、異母弟が後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となりました。このとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれます。




噂には根拠がありました。景宗が病床に臥せっているとき、主治医が「いけません」と反対したのに英祖は景宗にカニと柿と人参茶を差し出しています。結局はそれらが病状を悪化させる原因になったと推定されているのです。
英祖は自分にとって都合の悪い噂を必死に打ち消しますが、深刻な反乱が起きます。その反乱の告発書には「英祖は粛宗の子供ではない」「英祖が景宗を毒殺した」と書いてありました。まさに衝撃的な内容だったのです。
何をもって英祖が粛宗の息子ではない、というのでしょうか。
実は、2人はまったく似ていなかったのです。
(ページ4に続く)

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