日本語読みで引く人物事典3〔け〕編

朝鮮王朝の歴史を彩った重要人物を網羅した人物事典です。日本語の音読みで引けるようになっており、漢字を音読みにして検索してください。今回は〔け〕を取り上げています。

〔け〕

敬恵(けいけい/キョンヘ)公主
〔1436~1473年〕
5代王・文宗(ムンジョン)の娘で6代王・端宗(タンジョン)の姉。“朝鮮王朝でもっとも美しかった王女”と評されている。端宗が世祖(セジョ)によって王位を奪われて死罪になった後、彼女は奴婢(ぬひ)にされた。しかし、世祖は最後は気の毒に思って、彼女の面倒を見た。1473年に38歳で亡くなったが、その息子は後に科挙に合格して出世を果たした。

恵慶宮(けいけいきゅう/ヘギョングン)
〔1735~1815年〕
22代王・正祖(チョンジョ)の母。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子の思悼(サド)世子と結婚したが、思悼世子が1762年に亡くなり、彼女も世子嬪(セジャビン/次代の王妃)の資格を失った。しかし、息子の正祖が王位にあがり、王宮内での立場を強めた。正祖亡きあとも実家の名誉回復に奔走し、1815年に80歳で世を去った。

景宗(けいそう/キョンジョン)
〔1688~1724年〕
20代王。在位は1720~1724年。粛宗(スクチョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた。母が死罪になっているために、王になっても肩身が狭いところがあったが、人柄がとても良く、『朝鮮王朝実録』にも「殿下は慈しみにあふれ、人徳があった」と記されている。

月山君(げつざんくん/ウォルサングン)
〔1454~1488年〕
9代王・成宗(ソンジョン)の兄。父は7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)。父が19歳で夭逝したこともあって、月山君も世子(セジャ)にはなっていない。また、弟が即位するときも、王位継承の候補にあがっていたが、結局は祖母の貞憙(チョンヒ)王后に選ばれなかった。

元敬(げんけい/ウォンギョン)王后
〔1365~1420年〕
3代王・太宗(テジョン)の正妻。1398年、夫が政変を起こしたとき、政敵の急襲を察知していちはやく夫に知らせたり、武器をあらかじめ調達して夫のクーデターを成功に導いた。夫が王になってからは不仲になり、彼女の親族は謀略によってことごとく厳罰に処されている。

憲宗(けんそう/ホンジョン)
〔1827~1849年〕
24代王。在位は1834~1849年。父の孝明(ヒョミョン)世子は23代王・純祖(スンジョ)の息子で“名君の素質あり”と評価が高かったが21歳で夭逝。代わって憲宗が純祖の後を継いだ。わずか7歳であったために祖母の純元(スヌォン)王后が垂簾聴政をした。1849年、政治的業績を残せずに22歳で急死した。

顕宗(けんそう/ヒョンジョン)
〔1641~1674年〕
18代王。在位は1659~1674年。17代王・孝宗(ヒョジョン)の長男。祖父と父が果たせなかった清への仇(あだ)討ちをめざしたが、政権内で派閥闘争が激しくなって断念。心労が絶えず、33歳で世を去った。

顕徳(けんとく/ヒョンドク)王后
〔1418~1441年〕
5代王・文宗(ムンジョン)の正妻。1441年に後の6代王・端宗(タンジョン)を出産した直後に急死。その後に文宗は新たな正室をもとうとしなかった。それほど彼女を愛していた。

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