朝鮮王朝の歴史を彩った重要人物を網羅した人物事典です。日本語の音読みで引けるようになっており、漢字を音読みにして検索してください。第1回目は〔あ~お〕を取り上げました。
〔あ~お〕
尹元衡(いん・げんこう/ユン・ウォニョン)
〔? ~1565年〕
11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟。姉に引き立てられて大出世。愛人の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と結託して、政敵を次々と粛清した。姉の死後は自決を余儀なくされた。
廃妃・尹氏(いんし/ユンシ)
〔1445~1482年〕
9代王・成宗(ソンジョン)の正室。成宗の側室に嫉妬して宮中に呪いの言葉を持ちこ
み、さらに成宗の顔をひっかいてしまい、1479年に廃妃となる。その果てに、148
2年に死罪となった。「私の恨みを晴らしてください」と言い残したと伝えられており、
息子の燕山君(ヨンサングン)はその事実を知ってから、母の死罪に関係した官僚や女性
を大虐殺した。
英祖(えいそ/ヨンジョ)
〔1694~1776年〕
21代王。在位は1724~1776年。時代劇『トンイ』の主人公となった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の息子。王になってから、党争の弊害をとりのぞくために公平に人材を登用した。その結果、優秀な官僚組織を活用して政治的に成果をあげた。名君の評価を得ているが、世継ぎの思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させたことが汚点として残る。
睿宗(えいそう/イェジョン)
〔1450~1469年〕
8代王。在位は1468~1469年。7代王・世祖(セジョ)の二男だが、兄が早世したのにともなって即位。しかし、19歳で亡くなり何ら政治的業績を残せなかった。
永昌(えいしょう/ヨンチャン)大君
〔1606~1614年〕
14代王・宣祖(ソンジョ)の嫡男。母は仁穆(インモク)王后。2歳のときに宣祖が亡くなり、王位は異母兄の光海君(クァンヘグン)が継いだ。正室の息子であったことで光海君から警戒され、1614年に殺害された。
燕山君(えんざんくん/ヨンサングン)
〔1476~1506年〕
10代王。在位は1494~1506年。9代王・成宗(ソンジョン)の長男として生まれた。元来が粗暴な性格で、王朝最悪の暴君と言われた。1506年にクーデターによって王位を追われ、同年に流配先の江華島(カンファド)で世を去った。