原則は「崇儒抑仏」
儒教が隆盛となる一方で、仏教は迫害された。
これを歴史的には「崇儒抑仏」と言う。
仏教寺院は町中から追放され、かろうじて山中で生き残った。韓国では今も都市に仏教寺院がほとんどなく、大半が山中にあるのだが、これは朝鮮王朝時代に迫害された名残である。
それでも、朝鮮王朝時代になんとか仏教は生き残った。特に、王族の中に仏教を深く信仰する女性が多かった。『オクニョ 運命の女(ひと)』に登場する文定(ムンジョン)王后もその1人だ。
彼女は国教に反した仏教を信奉したばかりでなく、怪しげな僧侶と男女関係まで持ったと言われている。
朝鮮王朝の「崇儒抑仏」という原則も、陰の女帝として君臨した文定王后には通用しなかった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)