広大な土地を所有
クーデターで王位を奪っているだけに、王朝の正統性という面で仁祖にも弱みがあった。その点、14代王・宣祖の正室が産んだ王女の婚礼を執り行なうというのは、仁祖にとっても大いに大義名分が立つ慶事であった。
なお、朝鮮王朝時代には、王子であれ王女であれ結婚すれば、世子(セジャ/王の正式な後継者)を除いてすべて王宮の外に出て住むしきたりがあった。
この場合、王室は王の子供たちが王宮の外で幸せに暮らせるように、相応の屋敷と土地を用意した。
しかし、貞明公主に与えられた屋敷と土地は破格だった。
貞明公主と洪柱元が住む屋敷は、王宮の昌徳宮(チャンドックン)にとても近く、敷地も広かった。
それだけではない。
貞明公主は屋敷とは別に、地方に広大な土地も与えられた。
「いつまでも、この幸せが続くように……」
仁穆王后はそう願いながら、1632年に世を去った。
享年48歳だった。
以後、貞明公主と洪柱元の夫婦は激動の時代をお互いに助け合って生きた。
貞明公主が裕福な暮らしができたのは、彼女が大変な地主であったからだ。
518年間も続いた朝鮮王朝において、貞明公主ほど広い土地を所有した女性は、他にいなかったのではないか。
彼女は、夫の洪柱元との間では、7男1女を育てた。息子たちはそれなりに出世して家門を高めた。
1672年に洪柱元は66歳で亡くなったが、その後も貞明公主は夫を供養しながら穏やかな日々を過ごした。
1682年に貞明公主は79歳になった。
自分に残された日々が少ないことを悟ったのだろう。貞明公主は、遺言とも受け取れる文を息子に贈っている。
それは次のような内容だ。
「私が願うのは、お前たちが他人の過ちを聞いたときに、まるで父母の名前を聞いたときのように耳だけにおさめて、口では言わないということだ。他人の長所や短所を取り上げるのが好きだったり、政治や法令を途方もなく言い争ったり……そんなことはとても憎むべきことである。さらには、死んだあとであっても、子孫の間でそんな行ないが起こったということは聞きたくない」
この文を読めば、貞明公主がどういう人であったかがよくわかる。
その貞明公主は1685年に亡くなっている。
享年は82歳。朝鮮王朝の数多い王女の中でも特別なほど長寿であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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