中宗(チュンジョン)はあまりに優柔不断すぎる王だった!

疑心暗鬼に陥った中宗

王である自分をさしおいて臣下の趙光祖が王位に就く、という内容には、さすがの中宗も驚いた。
「まさか、あの趙光祖が……」
結局、中宗は趙光祖を最後まで信頼できなかった。
その空気を逃さず、趙光祖の対抗勢力は中宗に訴え出た。
「趙光祖の一派が王位を狙うような動きを見せています。彼らを絶対に排除しなければいけません」




中宗はすっかり疑心暗鬼に陥った。
中宗は、混乱したまま趙光祖の断罪を決断せざるをえなくなった。自分がもっとも信頼した側近だったが、最後まで趙光祖をかばうことができなかったのだ。そういう意味では、中宗はあまりに優柔不断すぎる王でもあった。
結局、趙光祖は1519年に死罪となった。
趙光祖を見殺しにするしかなかった中宗は、以後も世を去るときまで王権を強化することができなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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