最悪の暴君と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)は、1506年に高官たちが起こしたクーデターで王宮を追われた。彼の異母弟である晋城大君(チンソンデグン)は、高官たちから王の座に就くように説得を受けるが、それを断ってしまう。いったいなぜなのだろうか。
必死に説得した高官たち
晋城大君が、新たな王になってほしいという説得を断り続ける理由は、非道な王だと思われたくないからだった。
まったく説得を受け入れてもらえないことに悩んだ高官たちは、貞顕(チョンヒョン)王后に説得してもらおうと考えた。貞顕王后は、晋城大君の母親である。
晋城大君は、そのとき18歳になっていた。
貞純王后はまだ若い息子が王になるのには早いのではないかと心配し、高官たちに許可を出さなかった。しかし、諦めずにお願いをした高官たちは、なんとか貞顕王后の許可をもらえた。
その後、もう一度晋城大君のもとへと向かった高官たちは必死に頭を下げた。なぜなら、晋城大君が王にならなければクーデターが成功したことにならないからだ。
結果として、晋城大君は高官たちの説得を受け入れて、1506年に11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。
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『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后と中宗(チュンジョン)の「別れる理由」とは?