過去の記事一覧

  • 世子の「イ・ソン」と言えば思悼世子のこと!

    韓国時代劇『仮面の王 イ・ソン』には、ユ・スンホが演じる世子(セジャ)としてイ・ソンという人物が登場する。実際の歴史を見ると、朝鮮王朝の王家にいたイ・ソンと言えば、思悼世子(サドセジャ)のことである。彼は果たして、どのよ…
  • 世宗と正祖の実例!朝鮮王朝の王の食膳とは?

    朝鮮王朝の王の食膳には、超豪華な料理がズラリと並ぶのが通例だった。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思えるが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何のためなのか? …
  • 英祖と思悼世子に確執が生まれた日

    1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は…
  • 粛宗はどんな国王だったのか(特別編)

    『トンイ』ではチ・ジニが演じた粛宗(スクチョン)。ドラマでは人の良い国王として描かれていたが、実際の粛宗は、官僚たちを対立させて消耗させるという戦略家の一面を持っていた。そのおかげで、彼は王権を強化することに成功した。 …
  • 光海君は朝鮮王朝でどんな国王だったのか

    朝鮮王朝・15代王の光海君(クァンヘグン)がクーデターで王座から下ろされたのは1623年のことだった。彼は48歳になっていた。「王座から下ろされた」と言うと、非道なことを行なった暴君だったと思われるのが普通だ。実際、同じ…
  • 『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/後編

    敬恵王女が生んだ子は男だった。彼女の元を訪ねた内官は、世祖(セジョ)が「男なら殺せ」と命じたこと、貞熹(チョンヒ)王后が「男なら私のもとに連れてきて」と言ったことを伝えた。熟慮した末に、敬恵王女は生まれた子を貞熹王后のも…
  • 『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/中編

    世祖(セジョ)は、敬恵王女の動向を気にした。彼女は「国で一番の美女」という評価も受けていて、庶民の間で人気が高かった。結局、世祖は、病床にある敬恵王女を見舞うという名目を付けて鄭悰(チョン・ジョン)を配流地から戻すことに…
  • 『王女の男』に登場する敬恵王女の生涯/前編

    「朝鮮王朝で一番美しかった王女」と称されるのが、15世紀に生きた敬恵(キョンヘ)王女である。彼女は波瀾万丈の生涯を送った女性だ。果たして、敬恵王女の人生とは、どういうものだったのだろうか。 6歳で母を失う 敬…
  • 韓国時代劇の最高のキャラはやっぱり張禧嬪!

    韓国時代劇には数々の魅力的な女性が登場するが、そのなかでも抜群の存在感を放つのが、「朝鮮王朝3大悪女」の1人に数えられる張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。絶世の美女として歴史書にも記されている彼女は、宮女から側室となり王の子を…
  • 中宗と王妃の「チマ岩の伝説」

    韓国にもさまざまな伝説が残されている。その中でも、朝鮮王朝時代から今も語り継がれる美しい伝説がある。それは、政略的に廃妃(ペビ)にされた妻が、夫である王に捧げた愛だ。その名も「チマ岩の伝説」と呼ばれている。 [capt…

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