過去の記事一覧

  • 作家のホ・ギュン(許筠)

    17世紀初め、史上初めてハングルで書かれた有名な小説が「洪吉童伝(ホンギルドンジョン)」である。筆者は、朝鮮王朝中期の文人のホ・ギュン(許筠/1569~1618年)だった。 体制への反逆者 ホ・ギュンは有名な…
  • 武官の李舜臣(イ・スンシン)

    朝鮮王朝を代表する武官と言えば、最も有名なのが李舜臣(イ・スンシン/1545年~1598年)だ。彼は豊臣軍が朝鮮出兵をしたときに大活躍した。今でも韓国の人がもっとも尊敬する偉人が李舜臣なのである。 新しい戦闘…
  • 妓生のファン・ジニ(黄真伊)

    大人気となった韓国時代劇の主人公として有名になったファン・ジニ(黄真伊)。その人生は謎に包まれていた。なにしろ、生まれた年と亡くなった年がわからないほどなのだ。果たして、どんな人生を歩んだのだろうか。 美貌と…
  • 綾陽君とは誰なのか?『華政』の登場人物

    王の正室が産んだ王子は、名前に大君(テグン)が付くが、側室が産んだ王子の場合は、君(クン)だけが付くのである。それによって、綾陽君(ヌンヤングン)が側室から生まれた王子の系統であることがわかる。 祖父の宣祖は…
  • 光海君と臨海君!兄弟同士の骨肉の争い

    韓国時代劇『華政(ファジョン)』の序盤では、光海君と臨海君の悲劇的な兄弟関係が描かれていた。2人はなぜ、骨肉の争いを起こさなければならなかったのか。 長男としての面目 14代王・宣祖(ソンジョ)には当初、正室…
  • 政変を起こして最高実力者になった首陽大君!

    首陽大君は1453年に「癸酉靖難(ケユジョンナン)」と呼ばれる政変を起こして、端宗(タンジョン)を補佐する大臣たちをことごとく殺した。これは完全な越権行為である。仮に反逆者がいたとしても、まずは捕らえて自白させるのが常識…
  • 李芳遠は太宗になって何をしたのか?

    朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は初代王の太祖(テジョ)となったが、彼は神懿(シヌィ)王后との間に6男2女をもうけている。男子は上から、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バン…
  • 朝鮮王朝実録が記した燕山君の追放と中宗の即位!

    1506年、燕山君(ヨンサングン)の悪政を終わらせるためにクーデターが起きた。「朝鮮王朝実録」の1506年9月2日の項には、当時のことがどのように記されているか。具体的に見てみよう。 [caption id="atta…
  • 朝鮮王朝が長寿王朝になったのは太宗のおかげ!

    [太宗(テジョン)の人物データ] 生没年/1367~1422年 在位期間/1400~1418年 父/初代王・太祖(テジョ〔生没年:1335~1408年〕) 母/神懿(シヌィ)王后(生没年:1337~1391年) 息子/4…
  • 中宗が離縁した端敬王后の悲しき人生!

    端敬(タンギョン)王后はどんな女性だったのか。 生没年/1487~1557年 夫/11代王・中宗(チュンジョン)と1499年に結婚した 子供/いなかった 父親/慎守勤(シン・スグン)は燕山君(ヨンサングン)の側近 …

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