済州島を襲った災害
数年が経ち、金万徳は15歳の美しい娘に成長した。彼女の容姿を見た人たちは、口を揃えて妓生(キセン)になるように勧めた。
金万徳は済州島でも評判の妓生となった。妓生として生活を続ける中で彼女は、いつしか父の事業を復活させたいと願うようになった。金万徳はわずかな給金を貯めると、離れ離れになっていた弟を呼び寄せ、事業を起こす準備を始めた。
金万徳が目を付けたのは「鹿の角」。当時、本土の金持ちたちが高価な漢方薬を飲んでいると妓生時代に聞いたからだ。「鹿の角」は簡単には手に入らない上等な漢方薬の素材だった。
この予想は見事に当たり、彼女はまたたくまに大金持ちになり、彼女の評判はいっそう高まっていった。心配だった弟も自分の手を離れて幸せな家族を築き、金万徳はますます事業に力を注いでいく。
1769年、大型の台風が済州島を襲った。収穫物の多くが駄目になり、島民の多くが餓死していった。本土からも救援物資はいくらか届いたが、とても島民全体に届く量ではなかった。
金万徳はこの現状を打開するために、全財産を投げ打ち本土に出向くと、大量の食糧を仕入れ、島民に無償で配り始めた。金万徳の自己犠牲によって、済州島は最大の危機を乗り越えることができた。
彼女の行ないはすぐに22代王・正祖(チョンジョ)の耳に届いた。正祖は彼女の望むことをなんでも叶えるように伝令を走らせた。
しかし、金万徳は「当然のことをしただけです」と、その申し出を断った。
王命に背くわけにはいかず困り果てた伝令。その姿を不憫に思った金万徳は、「都を見学し、金剛山(クムガンサン)に登ってみたい」と答えた。
当時、済州島の女性は都に行ってはならない掟があった。しかし、正祖は金万徳の申し出を快く受け入れた。こうして彼女は女性の身でありながら、悠々と都や金剛山を観光し、故郷に帰っていった。
金万徳はその後も済州島で尊敬を集めて幸せに暮らしたという。済州島にはいまもなお「犬のように儲け、万徳のように使う」ということわざが残されている。