過去の記事一覧
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社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、朝鮮王朝時代では男尊女卑の風潮がとても強かった。女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。さらには、再婚の自由も奪われていた…
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朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起をはかるというストー…
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5代王・文宗(ムンジョン)の正室である顕徳(ヒョンドク)王后は息子(後の6代王・端宗〔タンジョン〕)を産むと3日で亡くなった。死ぬ間際の彼女は、端宗が立派な王になれるように周囲に祈りを託していた。
母の呪い
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英祖(ヨンジョ)は1776年3月4日に82歳で世を去った。後を継いだのが孫の正祖(チョンジョ)である。ドラマ『イ・サン』の主人公だった人だ。正祖は3月10日に慶熙宮(キョンヒグン)で即位式を行なった。
震え上…
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朝鮮王朝の王妃の中で聖女として慕われたのが、正祖(チョンジョ)の正室であった孝懿(ヒョイ)王后である。しかし、彼女は毒殺される危機に瀕した。それは果たして、どんな事件だったのだろうか。
パク・ウネが演じた孝懿…
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初代王の太祖(テジョ)の五男だった芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王・太宗(テジョン)として即位した。彼は、骨肉の争いを経て王になったので、自分の息子たちも世子(セジャ)の座をめぐり争うのではないかという不安を抱く…
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清での8年間に及ぶ人質生活を終えて、1645年2月に母国に帰ってきた昭顕(ソヒョン)世子。しかし、わずか2カ月で亡くなってしまった。あまりに不可解な急死。毒殺を疑われるのも当然だった。
歴史書も毒殺疑惑を提起…
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朝鮮王朝では王の後継者を「世子(セジャ)」と呼んだ。世子は原則として王の正室から生まれた長男が指名されるのだが、その長男に問題があったり正室に息子がいなかったりした場合、側室が産んだ王の息子も世子の資格を得る。また、一度…
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燕山君(ヨンサングン)が1506年にクーデターで廃位になったとき、正妻だった慎氏(シンシ)も廃妃となって実家に帰された。彼女の親族も燕山君の外戚として権勢をほしいままにしたが、暴君の没落にともなって悲惨な末路をたどった。…
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11代王・中宗(チュンジョン)が即位したのは1506年だ。異母兄の燕山君(ヨンサングン)を王宮から追放した結果だった。しかし、即位式では正式な冠服を着られなかった。あまりに急で準備が間に合わなかったのだ。それほど中宗の即…
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