過去の記事一覧

  • イ・サンの最大の政敵は憎き祖母の貞純王后だった!

    イ・サンこと正祖(チョンジョ)にとって貞純(チョンスン)王后はどういう存在か。彼女は、立場上は正祖の“祖母”にあたる女性だった。年齢はわずか7歳しか違わないのだが、それは祖父の英祖(ヨンジョ)が65歳のときに14歳の貞純…
  • イ・サンは敵対した身内をどのように処罰したか

    イ・サンこと正祖は即位すると、父の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった老論派の粛清に乗り出した。最初に標的にしたのは、洪麟漢(ホン・イナン)である。彼こそが世孫時代の正祖を何かにつけて攻撃してきた張本人だった。 …
  • 即位したイ・サンは最初に何をしたのか

    英祖は1776年3月4日に82歳で世を去った。その3カ月前から代理聴政をしていたのは世孫だったので、朝鮮王朝の正式な法にのっとって世孫が次の王に決定した。ここにイ・サンこと正祖(チョンジョ)が誕生したのである。 …
  • 『オクニョ』にも登場した明宗はどんな国王だったのか

    朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)は、1534年に生まれた。父は11代王・中宗(チュンジョン)で、母は中宗の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。文定王后は中宗との間に1男4女をもうけたが、その「1男」が…
  • 晩年の世祖はどれほど呪われたのか

    王権が安定するまで邪魔者を処罰し続けた世祖(セジョ)。彼は在位した14年間は懸命に国事に励んだ。王としての世祖の功績は、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を始めたことと、王権を徹底的に強化したことだ。 …
  • 端宗の悲しすぎる運命とは?

    命をかけて端宗(タンジョン)を復位させようとした「死六臣」だが、彼らの行動は逆に世祖(セジョ)を頑迷にした。世祖は、ことの発端は“端宗の存在”にあると思いこみ、端宗の身分を剥奪して、身分を庶民に降格させたうえで都から離れ…
  • 「死六臣」の大事件とは何だったのか

    端宗(タンジョン)が王位を退くと、朝廷では先王たちの遺志を継いだ忠臣たちによる端宗の復位運動が活発になっていった。その動きの中心に立ったのが、成三問(ソン・サムムン)である。彼は端宗から王位を奪った世祖(セジョ)を認めな…
  • 首陽大君は甥の端宗を脅かして王位を強奪した!

    王族の首陽大君(スヤンデグン)は、いよいよ自分が行動を起こす時期に来ていることを悟った。側近たちとの密談を繰り返した首陽大君は、1453年10月10日、ついに多くの同志を自邸に招いて決起集会を開いた。 政変を起こした…
  • 『オクニョ』が描くのは1550年代の暗黒時代!(歴史編)

    『オクニョ 運命の女(ひと)』を楽しく見るためには、背景となっている時代の歴史について知っておいたほうがいい。そこで、『オクニョ』が描く時代について解説しよう。 明宗の統治時代 『オクニョ』は、主に朝鮮王朝の…
  • 首陽大君と安平大君の対立はなぜ起こったのか

    4代王・世宗(セジョン)の二男が首陽大君(スヤンデグン)だった。儒学はもちろん、天文や兵学にも精通し、風水に関しても専門家以上の知識を持っていた。音楽理論と楽器演奏にも長けていた。まさに当代随一の学問と強要を兼ね備えてい…

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