過去の記事一覧
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11代王の中宗(チュンジョン)の治世は38年に及んだ。歴代27人の王の中で五番目に長い在位だった。しかし、晩年は病気がちで床に臥(ふ)せっているときが多かった。そんな中宗を献身的に看病したのが長男の世子(セジャ/王の後継…
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イ・サンこと正祖(チョンジョ)にとって貞純(チョンスン)王后はどういう存在か。彼女は、立場上は正祖の“祖母”にあたる女性だった。年齢はわずか7歳しか違わないのだが、それは祖父の英祖(ヨンジョ)が65歳のときに14歳の貞純…
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イ・サンこと正祖は即位すると、父の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった老論派の粛清に乗り出した。最初に標的にしたのは、洪麟漢(ホン・イナン)である。彼こそが世孫時代の正祖を何かにつけて攻撃してきた張本人だった。
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英祖は1776年3月4日に82歳で世を去った。その3カ月前から代理聴政をしていたのは世孫だったので、朝鮮王朝の正式な法にのっとって世孫が次の王に決定した。ここにイ・サンこと正祖(チョンジョ)が誕生したのである。
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朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)は、1534年に生まれた。父は11代王・中宗(チュンジョン)で、母は中宗の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。文定王后は中宗との間に1男4女をもうけたが、その「1男」が…
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王権が安定するまで邪魔者を処罰し続けた世祖(セジョ)。彼は在位した14年間は懸命に国事に励んだ。王としての世祖の功績は、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を始めたことと、王権を徹底的に強化したことだ。
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命をかけて端宗(タンジョン)を復位させようとした「死六臣」だが、彼らの行動は逆に世祖(セジョ)を頑迷にした。世祖は、ことの発端は“端宗の存在”にあると思いこみ、端宗の身分を剥奪して、身分を庶民に降格させたうえで都から離れ…
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端宗(タンジョン)が王位を退くと、朝廷では先王たちの遺志を継いだ忠臣たちによる端宗の復位運動が活発になっていった。その動きの中心に立ったのが、成三問(ソン・サムムン)である。彼は端宗から王位を奪った世祖(セジョ)を認めな…
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王族の首陽大君(スヤンデグン)は、いよいよ自分が行動を起こす時期に来ていることを悟った。側近たちとの密談を繰り返した首陽大君は、1453年10月10日、ついに多くの同志を自邸に招いて決起集会を開いた。
政変を起こした…
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『オクニョ 運命の女(ひと)』を楽しく見るためには、背景となっている時代の歴史について知っておいたほうがいい。そこで、『オクニョ』が描く時代について解説しよう。
明宗の統治時代
『オクニョ』は、主に朝鮮王朝の…
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